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 「西川家」は、「西川豊後守藤原○○」、江戸期に入っては「西川筑後守藤原○○」と歴代名乗り、特に紀州熊野と京都今(新)熊野神社熊野神社に縁の深い家として伝わります。その「家学(かがく)」として、有職故実、太鼓・鼓・笛・和歌・書などの奥義が継承されて参りました。また、鎌倉期の僧で我が国に味噌醸造と醤油の製法を普及させた「覚心」は当家縁の人物と伝承されます。
 南北朝時代、京都の混乱に巻き込まれた当家は国司に随行して信濃に参り、爾来「中萱熊野神社」宮司、および二木(ふたつぎ)、及木、七日市、真々部、上鳥羽、下鳥羽、本村、新田、成相、寺所、仮田、熊倉、中曽根、塚原、大野川の社掌宮司として、戦後まで代を繋いできました。また、境内を用いて味噌の製法などを普及させました。近隣では「京都 西川家」もしくは「豊後守」「筑後守」などと呼ばれてきました。また熊野の市神(いちがみ)の管理者として、松本の飴市の祭神担当の宮司でもありました。近隣に遺る「一日市場(ひといちば)」「七日市」などの地名は,当家の市神管理により生まれたものとされています。
 ここに「西川家」について記しますのも、少なくとも南北朝以来同じ地にて社家として奉職して参りました歴史の中に、明治以降の「日本史」で切り落とされた中世史、物流・経済史、境内に存した神宮寺およびそこに於ける寺子屋史など、実態史を根に「日本文化」を見つめることができるという効用ある故です。
 「伝統というのは一つの価値であるから、それが現代において現代的な価値をもつときにのみ、その伝統は展開したといえるのである。」(笠 信太郎『ものの見方について』)という言説がありますが、この家系のソフトウエアの流れの中から、追々皆さまにご利用いただけるものを取りだして、このサイトにてご紹介して参りたいと思います。




西川秋象揮毫:「和気致祥」
出典:《漢書・楚元王伝附劉向》「和藹之気可以招来吉祥」
意味:和やかな気が吉祥を招く。陰陽の気が和らぐと幸いがもたらされる(負陰抱陽冲気以為和)。