W.ウェストン卿と安曇野



■写真:安曇野の夕暮れ(正面に見えるのが有明山)

我が国の近代登山史および山岳観光でもっともエポックな瞬間は、小島烏水(こじまうすい、『日本山水論』などの著者)が1902年(明治35)8月17日に岡野金次郎と槍ケ岳を極めたことであり,日本近代登山の幕開けとなる輝かしい記録でした。

当時、日本に氷河の痕跡があるかどうかが学術的課題になっていたこともあり、雲母花崗岩があるこのあたりから槍ヶ岳周辺はそれを観察するに重要な地でした。

そしてこの登頂体験をもって、横浜に再来日していたウォルター・ウェストンに横浜で面会が叶い、そのときウェストンから日本山岳会の設立を強く勧められた訳です。

それから3年後の明治38年、甲武鉄道(中央線)の停車場だった飯田橋の、料亭「富士見楼」にて第1回日本山岳会の会合が持たれました。(会長には小島烏水と岡野金次郎が就任しました)

この「日本山岳会」こそ、我が国に於ける最も歴史ある民間主導の公益法人(社団法人)と言って良いと思います。
「山岳会」という名から、山登りの人の会と連想してしまうでしょうが、実は「日本博物学会」の支会として設立されたのと、当初から島崎藤村ら多くの文化人が会員となった点に特色があります。

※出典:
2009/09/16第195回 日本文化フォーラム『ウォルター・ウェストンと小島烏水①』及び、2009/09/23 第196回 日本文化フォーラム『ウォルター・ウェストンと小島烏水②』に於ける西川壽麿講演より