書斎の文化


理想的な世界、古典文学の世界に往還する空間としての「書斎」。それは、人間にとってもう一つの「旅」の現場である。
京都南禅寺塔頭の金地院(こんちいん)所蔵、紙本墨画「溪陰小築図(けいいんしょうちくず)」を思い浮かべるかたも多いだろう。

或いは、作家愛用の旅館やホテル、例えば東京神楽坂の小さな旅館「和可菜」や神田駿河台の「山の上ホテル」等々を思い浮かべるかたも居られるやに思う。



ここでは、長野県の木曽町福島にある二つの書斎のお話を…。


もともと食糧自給率が低い木曽は、江戸天明期(1781-)の飢饉の中にあって、もっともダメージを受ける筈の地域であった。
しかし、代官 山村蘇門と勘定役 石作駒石(いしづくり・くせき)のコンビによって見事に財政再建を為して行く。率先垂範の倹約・節約と税引き下げ、新田開発、馬産・製薬・漆器など高級商品育成などの施策がついには地元商人にも理解され、商人達は山村家の借金証文4200両分の焼却を申し出た。



この二人の書斎をご紹介しよう。


山村蘇門が木曽川畔に構えた書斎に掲げられていた「清音楼」額装
現在は、木曽福島山村代官屋敷跡に展示されている。








木曽町福島上ノ段にあった「翠山楼」(すいざんろう)は、同じく木曽福島山村代官屋敷跡に移築されている。
山村家勘定役、石作駒石(いしづくり・くせき)の書斎である。